作ってるのはどんなヤツ?


Webマガジン 鹿児島ディスカバリーマガジンCROWD に私の事が記事掲載されました^^    
   私の脱サラ〜木工屋へ転職した動機、カホンとの出会い、今後の目標
   カホン製作の様子など。
   左下の「転身録」コンテンツVOL.6



1978年に鹿児島市に生を受け、現在も鹿児島市在住。
父親が木工関係(建具屋)の仕事をしている背中をずっと見てきた。幼少の頃から「僕は大人になったらコノ仕事をするんだな・・・」と漠然と感じながら少年時代を過ごす。工作・プラモデル大好き少年。
小学校に上がる時に親父に作ってもらった「勉強机」は僕の宝物。
友達が家に遊びに来る度に「コノ机はとーちゃんが作ったんだぞ」って自慢してたのは懐かしい思い出。
お前のとーちゃんスゲーな。って言われるのが誇らしかった。。

小・中・高と進級するにつれ、親父の仕事は忙しいし、埃一杯で夏は暑くて冬寒い。何より危険な職業で一歩間違うと指なんて簡単に吹っ飛ぶ・・・・
年間に10日休みがあっただろうか・・・休日に親父と遊んで過ごした思い出は殆ど無い。

休みの日のほとんどは工場に遊びに行って隅っこで工作してたっけな。 
高度経済成長の最中、今の日本を作った年代の人たちですね。

そんな、休み無く働くのは絶対嫌だ! 将来子供が出来たら休日は一緒に過ごしたいと思いサラリーマンを目指す。情報処理の道へ進学し、卒業後は鹿児島市内の小さなソフトハウスへ入社。
収入は少なかったが週休2日の第一条件を満たした良い会社だった。

2002年に結婚。
2004年に第1子に恵まれ、家族は3人に。

ある時、ふと「毎日愚痴ばかり並べているシケた面」が鏡にうつった。
あまりにも情けなくて、カッコ悪い。今から父親になろうとしている俺はこんなんで良いのか?
こんな父親を誇りだと思える筈が無い・・・

僕にとっての親父は一緒に遊ぶ時間こそ無かったけれどスーパーマンだった。
力持ちで、何でも作れて、壊れたら何でも修理できて。
僕も、わが子のスーパーマンになりたい。勉強机が家にやってきたときのあの喜びや感動を自分も「誰か」に与えたい・・・そう決意し、親父の勤める建具屋へ転職。

さらに収入減るも、「最近いい顔してるよ」の嫁さんの言葉に助けられ、力を注ぐ。

しかし、もっとやりたい事を自由に!
親父と相談し、建具屋を共に退職し「木工屋」を親父と2人で独立開業。2006年6月のこと。

建具(住宅用のドアや障子など)を仕事の要に、探求の日々。

ある日、偶然にもカホンと出会い、その魅力に取り付かれる。
友人や有識者の力添えのお陰で、僕の作るカホンは日々進化して行った。
カホンを通じて、知り合うことの出来たミュージシャンやその音楽。それらは大きな感動を僕に与えてくれた。出来ることなら音楽に、この素晴しい音楽の世界に身を置いて生活していたい。

2007年10月にカホンメーカー HM CAJON を立ち上げ、発売開始。
地元の楽器店を中心にユーザー数を増やす。 
僕のカホンを叩いてくれているときのお客さんの笑顔を見ると作って良かったな・・・と実感。

2008年 力を注ぐべきテーマを楽器製作と心に決め、カホンにとどまらず、木製パーカッションや金工メロディックパーカッションなど、様々な分野に取り組み「楽器作家」を目指し研鑽の日々。

2月、鹿児島の緑ヶ丘町の町興し音楽系プロジェクト「Viva La Musica」へ発起、楽器貸与協力開始。
   自信もプレイヤーとしてのスキルをあげるべく毎週練習する。

2009年 奇跡は起こり続ける。夢が一つ叶った。
全国誌「パーカッションマガジン VOL.5」へHM CAJON掲載される。

2010年
   ここからはじめる 「カホンの教科書」?(シンコーミュージック) 
   にてHMカホンの紹介記事掲載

   「パーカッションマガジン2010」特集記事 カホン一気叩きレビュー
   にて、HMカホンの紹介 レビュー記事掲載




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 〒892-0873
  鹿児島市下田町258


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